パリ・オペラ座でバレリーナとして活躍するオニール八菜さんをご存知ですか。
今回は、日本人とニュージーランドのハーフで、今や世界的に活躍するバレリーナのオニール八菜さんを紹介させていただきたいと思います。
目次
プロフィール

名前:オニール 八菜(おにーる はな)
生年月日:1993年(23歳)
出身地:東京都世田谷区
サイズ:身長・172cm
学歴:オーストラリアバレエ学校(主席)
職業:バレリーナ
所属:オペラ座バレエ団(パリ)
オニール八菜さんの両親と兄弟

オニール八菜さんは、日本とニュージーランドの二重国籍をお持ちです。
オニール八菜さんのお父さんはニュージーランド人の元ラグビー選手として伊勢丹のチームに所属、お母さんは八菜さんのお母さんは日本舞踊の名手だったのだそうです。
スポーツ選手とダンサーの娘ということになりますね。運動神経と踊りのセンスが抜群なのも納得できますね。
八菜さんには二人の弟さんがいるそうですが、お二人ともスポーツが得意なようです。
ニュージーランドというと「ロードオブザリング」のロケ地として有名ですが、八菜さんがニュージーランドに渡ったのは、ロードオブザリング第1作目の公開された2001年でした。
オニールハナさんのバレエの経歴
オニール八菜さんがバレエを始めたのは3歳の時でした。お母さんが舞踊好きだったのと、音楽が聞こえると踊り出す八菜さんの踊り好きとがバレエを始めたきっかけとなったようです。
バレエのレッスンは東京・世田谷区にある『岸部バレエ・スタジオ』で始めたそうです。
『岸部バレエ・スタジオ』とは、ネザーランドダンスシアターやベルギー王立ワロニーバレエ団で活躍した経験のある岸田光代さんが主宰するバレエスクールです。
その後、八菜さんが8歳になるときに、ご家族はニュージーランドへ移住することを決めました。お父さんが怪我をしたため、ニュージーランドへ戻りラグビーのコーチングを学ぶというのが移住目的だったそうです。
以下、ニュージーランド移住から八菜さんの経歴です。
2001年 父親の出身地であるニュージーランドへ移住
2008年 オーストラリアのダンススクールに入学
2009年 ローザンヌ国際バレエ・コンクールで優勝!
2010年 ユース・アメリカ・グランプリで金メダル受賞
2011 バレエスクールを首席で卒業
卒業後 パリオペラ座のシーズン契約ダンサーになる
2013 パリオペラ座の正団員として入団が決まる。コリフェになる
2015 1月スジェに昇格
9月ヴァルナ国際コンクールに出場し銀賞を受賞
11月プルミエールダンスーズ(第一舞踏手に昇格)。
2016 5月 ブノワ賞受賞
ニュージーランド&オーストラリア時代
八菜さんは、ニュージーランドへ引っ越してからもオークランド・マウントエデン周辺のバレエ教室で7年間バレエを学びました。その頃から、八菜さんのバレエへの情熱も高まり、毎日レッスンに通うほどに。
ところが、八菜さんのバレエがうますぎたことがきっかで、八菜さんご本人もお母さんまでもが、他の生徒や親御さんからの嫌がらせを受けて孤立してしまうこともあったのだそう。
そんな嫌がらせをされたことを振り返って、八菜さんは「力になった!」と語られます。日本での8年間、ニュージーランドでの7年間、八菜さんは常に成長し続けました。
ニュージーランド滞在中も毎年夏休みには、日本に2ヶ月ほど帰って、日本の学校に通ったりバレエのレッスンを受けたりしていたそうです。
八菜さんが15歳の時には、世界でも屈指のバレエスクールと言われるメルボルンにあるオーストラリアバレエスクールに入学します。
バレエスクールでは志の高い良き友人に恵まれてバレエ漬けの日々を過ごし、ローザンヌ国際バレエオンクールに代表として出場することになりました。
ローザンヌ国際バレエコンクールに出場
特に優勝を目指して挑んだわけでもなく、世界中から集まるダンサーから良い刺激を受けることができれば、と経験を積むことを楽しもうと出場したコンクール。
実は、晴れの舞台でハプニングも起こりました。
八菜さんの番になり、踊りが始まったと思ったら舞台袖に戻っていくという一幕があり、何事かと思ったらシューズのリボンがほどけてしまったようです。
そんなハプニングもなかったかのように、しっかりとトウシューズの紐を結びなおして、堂々と華麗に舞台に舞い戻ってきたハ菜さん。
結果はコンクールで堂々の一位を獲得しています!
大舞台でのハプニングにも動じずに冷静な対応をとることができたことでも評価が高まったのではないでしょうか。
こちらに、ローザンヌ国際コンクールでの八菜さんの踊りの動画を掲載します。
3:45のあたりからオニール八菜さんが登場します。
また、ハプニングの場面は、4:07のあたりの足元に注目してくださいね。
舞台裏に入っても全く動じず、落ち着いて対処できる行動力も八菜さんの素晴らしさの一つですね。
パリ・オペラ座へ入団

オーストラリアバレエ学校を首席で卒業したオニール八菜さん!
ローザンヌ国際コンクールでの優勝を皮切りに、八菜さんは数々の国際コンクールに出場し、多くの賞を受賞しました。
ところで、パリオペラ座バレエ団は八菜さんにとって子供の頃からの憧れでした。そして、バレエ界の最高峰とも言われるフランスのパリ・オペラ座。
実は過去にオペラ座バレエ学校に入学を志望したことがありますが、入学許可が降りず断念したことがありました。
八菜さんはそのパリ・オペラ座への入団への再チャンレンジの機会を手にしました。188人の同団入団希望者の中からオーディションで選ばれるのはたった2人。
八菜さんは世界から集まったトップダンサーに混じって健闘したものの、結果は残念ながら4位。
がっかりしてトボトボと家に帰る途中で、なんと1年間の臨時雇用計画を結ばないかという思いがけない連絡を受けました。
そうやって八菜さんの魅力と実力に気づいてもらえたことで、憧れのパリ・オペラ座に入団することとなりました。
2013年からはパリのオペラ座には、正式団員として入団し、2014年にはヴァルナ国際バレエコンクールに出場しトップの成績を収めました。

パリ・オペラ座での昇格
パリのオペラ座では、5つの等級制度があります。
八菜さんは入団後にはメキメキと頭角を現し、順調に昇進していきます。
等級制度はこちら。一般的にカドリーユから始め、毎年行われる昇進試験で成功すれば、一つづつ昇格することが可能で、エトワールを目指します。
- カドリーユ:群舞
- コリフェ:活躍の機会が多い群舞
- スジェ:セカンドソリスト
- プルミエール:第一舞踊手
- エトワール:主役
八菜さんの昇格は異例と言われるほどで、入団した2013年にはコリフェに、翌年にはスジェへと、トントン拍子にエトワールへの道を登っています。
普段、エトワールやプルミエ以外のダンサーが主役を演じることはありませんが、2015年にはスジェの階級でありながらも『白鳥の湖』で主役を演じました。

2015年の末にはさらなる昇格試験に合格し、入団3年目の2016年度はすでにプルミエールダンスーズとして舞台に立ちました。すでにエトワールまであと一歩のところに来ています。
八菜さんが、近い将来最高級の階級であるエトワールになるのは確実視されているそうです。ただ、エトワールは通常の試験によって昇格できるものではないので、八菜さんがいつエトワールの座を手にするかは見当がつきません。
何れにしても、近い未来ということは確実のようです。
エトワールをめざす八菜さんも、次の昇格についてこのようにコメントしています。
「それだけでは仕方がない。役作りに励んで、とにかくいっぱい踊りたい」
ブノワ賞
2016年5月17日、ダンス界の世界的な賞『ブノワ賞』を受賞という快挙を成し遂げました。
バレエ界のアカデミー賞ともいわれるほどの賞で、受賞者は世界の一流ダンサーの仲間入りをしたことに値します。オニール八菜がバレエの最高権威のブノワ賞を受賞!
日本国籍を持つ日本出身のダンサーのブノワ賞の受賞は、八菜さんが二人目の快挙です。
まとめ
「私のメゾン(家)はオペラ座です」
と語るオニール八菜さん。
憧れのパリ・オペラ座で大好きなバレエを踊る素敵なバレリーナ。八菜さんのエトワール昇進のニュースが待ちきれません。そして、いつか八菜さんの踊りを生で見ることが私の夢でもあります。
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