阿部友里香選手の出身大学やスキーの経歴とソチでの結果は?

2018平昌パラリンピックに出場する阿部友里香選手。出場種目はクロスカントリーとバイアスロンです。

今回は阿部選手のプロフィールやスキーを始めたきっかけ等を紹介したいと思います。

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阿部友里香選手のプロフィール

生年月日:1995年10月7日

出身地:岩手県

出身高校:盛岡南高校

大学(在学中2018年現在):大東文化大学国際関係学部

出生時に左腕に障害を負い、機能不全となる。
それでも、小学校ではバレーボールに熱中した。
2010年のバンクーバーパラリンピックをニュースで見た際に、初めて障がい者スポーツの存在を知る。
その時に目にしたノルディックスキー競技(クロスカントリー、バイアスロン)に興味を持つ。

そうやって、障害者スポーツに興味を持ち始めた阿部選手は、進学した盛岡南高校でスキー部に入り、本格的にスキー競技を始めました。

また。それと同時に日立ソリューションズスキー部「AURORA」下部組織のジュニアスキークラブに入り、日本代表の合宿にも参加するように。

2014年3月、初めてソチでのパラリンピックに出場し、クロスカントリー・クラシカル15キロで8位入賞を手にしました。

2015年4月、大東文化大学に進学しスキー部に所属し、現在も同スキー部で活躍中。

2014年ソチオリンピックでの記録と感想

4年前のソチオリンピックのパラリンピックに初出場した阿部選手。

当時18歳だった阿部選手は、”出場できることが嬉しかったし、それだけでいっぱいいっぱい”で、メダルを獲得することなど、まったくイメージすることができなかったのだそうです。

それでも懸命に取り組んだ初のオリンピックは、アキレス腱の痛みと戦いながらのものでした。

バレー部に所属していた中学3年生の時にアキレス腱が腫れたことがあり治療をして完治していたと思っていたところがスキーを始めて痛み始めたのだそう。アキレス腱の症状は良くなったり悪くなったりをくりかえしながら迎えたソチパラリンピック本番。

現地入りしても痛みとの戦いの中不安なまま本番を迎えたそうです。特に最大の難関である15キロクラシカル。特にスキーを平行に保って進むという動きでアキレス腱の痛みが生じていました。

そんな不安な中でも、懸命に競技に取り組んだ阿部選手は以下のようにコメントしています。

「もともとロングは得意ではなかったのですが、ちょっと気持ちが萎えそうになる度に、スタッフさんが声をかけてくれたんです。だから、苦しいとか痛いとかということをあまり考えずに走り切ることができました」

ソチでの結果は8位入賞。

ゴールの瞬間、阿部選手はその場で倒れこんだという感動のゴールでした。

阿部選手の症状を心配した医師が部屋まで様子を見にきてくれたり、日本代表スタッフの方々が3キロの周回コースに散らばってエールを送ってくれたリト、そんな周りのサポートがあったおかげで阿部選手はゴールを目指すことができたのだそうです。

周囲の支えによって不安に襲われることなく、持てる力をすべて出し切った全力のレースでした。

高校時代のスキー部入部がきっかけに!

阿部選手が進学した盛岡南高校は、東北を代表するスキーの強豪校で、OBにはソチ五輪スキーノルディック複合日本代表の永井秀昭選手がいるスキーで有名な学校でした。

そんな場所に、趣味としてゲレンデスキーを楽しむほどしかスキーを知らない阿部選手がスキー部に入ることを選びました。

スキー部顧問である立花先生は、

「彼女にとってはほとんど初めてのことばかりで、練習は相当きつかったと思います。正直最初の2、3カ月は、『もしかしたら夏までに辞めたいと言ってくるかもしれないなぁ』と思っていました。

と言います。

ですが、誰よりも『上手くなりたい!』という意思が強い阿部選手を見ることができたのだそう。彼女は、「できない。」という言葉は一切言わず、難しいと思うことがあれば積極的にアドバイスを求め質問をしてきたのだそうです。

そんな阿部選手の姿が他の部員にも良い影響を与え、個人競技であるスポーツでありながらも部内にはそれまではなかった”仲間を応援し支え合う”という良い雰囲気が出来上がっっていったのだそう。

平昌に向ける意気込みは?

高校三年生だった阿部選手は、現役大学生として今回は平昌パラリンピックの臨みます。

2年前には考えられなかった”夢”に向かって前進した阿部選手の活躍は、世界に勇気を与えてくれるものとなることでしょう。

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